1「優しさという名の微笑 シナちゃん」 続普通は、何らかの理由で会い、話などをしながらその人がどんなひとであるのか感じたりする。 オフ会は初対面なのに既知の感覚で旧知の間柄のようにいきなりそこに存在する。 時代は良くなったのか、悪くなったのか?とまれ、遠方の方と知り合い、そうして出会えることがNET時代の仲間意識の浸透の現われなのだろうか? この人に会いたかった。 「銀の鈴」で挨拶されたときに、ブログのイメージと今ここにいるシナちゃんが一致しなかった。 ウッソォ~ てなもんだ。笑 はんなりたおやかに笑っている。 恥ずかしそうに、はにかみながら彼女はそこにいる。声を掛けるのをためらってずっとボク達を見ていたのだそうだ。 彼女の存在はボクには別のものだった。 ブログ登場以来、彼女に習うことが多いのだ。その読解力・コメントの精度(つまり外さない)に関心。つまり彼女は読み飛ばさないのだ。それは相手のことを思いやるということなのだと思う。 先の写真の意味はこうだ。 集合写真を撮り終わったときに彼女が手洗いから戻り、みんなで大笑いしたところだ。 シナちゃん、アレアレ?いなかったの?ミタイナァ~ 笑 そして、その間の悪さに自分でも笑っている。 既知の感覚、それを越えてリアルに会うことはその関係の補完作業というよりは、また別の次元へと関係性を誘う事だ・・・たぶん・・・そのたびに、ブログの既知感などはあてにならないな、とじぶんの感性を疑ってしまう。 シナちゃんの優しい笑顔のそばにいると、あ、やっぱりオフ会はすばらしいなっ、と、改めて実感してしまう日曜日の午後なのでありました。
by lazy50
| 2006-06-11 19:31
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